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2011年1130日刊登在《朝日新闻》教育專欄。圖為2006年,
三歲的片山君和他的爸爸俊作,幾個月後,片山君的爸爸俊作因病去世。

日本廣島市立中島小學一年一班 片山悠貴德(ゆきのり)。
朝日學生新聞社「第四屆作文比賽」題目是「感謝」。

全文由
http://hiyamamoku.blog.163.com/blog/static/1891053402011101521428853/
轉貼。

「ぼくとお父さんのおべんとうばこ」 我和爸爸的便當盒

おとうさんがびょうきでなくなってから三年、ぼくは小学一年生になりました。
爸爸因病去世三年之後,我讀小一。


おとうさんにほうこくがあります。
きっとみてくれているとおもうけど、ぼくはおとうさんのおべんとうばこをかりました。 

有件事要向爸爸報告,我想,爸爸也一定知道了:
我借用了您的便當盒。


ぼくは、きのうのことをおもいだすたびにむねがドキドキします。
一想起昨天的事情,我的心還怦怦地一直跳。


ぼくのおべんとうばことはしがあたって、すてきなおとがきこえました。
きのうのおべんとうは、とくべつでした。まだ十じだというのに、
おべんとうのことばかりかんがえてしまいました。

我的筷子碰到便當盒的时候,發出了很好聽的聲音。
昨天的便當,十分特别。雖然當時才上午十點,
可我腦海中想的全是便當。


なぜきのうのおべんとうがとくべつかというと、
それはおとうさんのおべんとうばこをはじめてつかったからです。
おとうさんがいなくなって、ぼくはとてもさみしくてかなしかったです。

之所以说昨天的便當盒很特别,
那是因為第一次使用了爸爸的便當盒。
爸爸去世後,我非常寂寞、非常難過。


おとうさんのおしごとは、てんぷらやさんでした。
おとうさんのあげたてんぷらはせかい一おいしかったです。
ぼくがたべにいくと、いつもこっそり、ぼくだけにぼくの
大すきなエビのてんぷらをたくさんあげてくれました。
そんなとき、ぼくはなんだかぼくだけがとくべつなきがして
とてもうれしかったです。あれからたくさんたべて空手も
がんばっているのでいままでつかっていたおべんとうばこではたりなくなってきました。

爸爸「天婦羅屋」工作,他油炸的天婦羅,是世界上最好吃的。
每次我去吃的時候,爸爸總是悄悄地,為我炸許多我最最喜歡的
「海老天婦羅」。當下,我不由的感覺到自己很特别,
因此十分開心。那之後我每天吃很多,還努力練空手道,
以至於一直使用的便當盒變得不夠用了。


「大きいおべんとうにしてほしい」
我想要個大一點的便當盒!」
とぼくがいうと、おかあさんがとだなのおくからおとうさんが
いつもしごとのときにもっていっていたおべんとうばこを出してきてくれました。

那天我这麼一说,媽媽便從橱柜裡把
爸爸上班時常用的便當盒拿出來给了我。


「ちょっとゆうくんには、大きすぎるけどたべれるかな」といいました。
 
「對悠來說,會不會太大呢?」媽媽說


でもぼくはおとうさんのおべんとうばこをつかわせてもらうことになったのです。
但還是讓我用爸爸的便當盒。


そしてあさからまちにまったおべんとうのじかん。
ぼくはぜんぶたべることができました。
たべたらなんだかおとうさんみたいに、
つよくてやさしい人になれたきがして、
おとうさんにあいたくなりました。
いまおもいだしてもドキドキするくらいうれしくて
おいしいとくべつなおべんとうでした。

然後,就是從早上開始等了又等的吃便當的時間。
我將便當全部吃光光。吃完之後學得自己就像爸爸一样,
變得又强大又温和,變得很想見到爸爸。
到现在回想起這麼高興又好吃的特别便當,
心裡還怦怦地跳個不停。

 
もし、かみさまにおねがいができるなら、
もういちどおとうさんと、おかあさんと、
ぼくといもうととみんなでくらしたいです。
でもおとうさんは、いつも空の上から
ぼくたちをみまもってくれています。

如果能夠向神許願的話,我想要能再一次和
爸爸、媽媽、妹妹一起生活。
不過爸爸一直在天空中守護著我們。


おとうさんがいなくて、さみしいけれど、
ぼくがかぞくの中で一人の男の子だから、
おとうさんのかわりに、おかあさんといもうとを
まもっていきます。おとうさんのおべんとうばこで
しっかりごはんをたべて、もっともっとつよくて、
やさしい男の子になります。

雖然爸爸不在會很寂寞,但我是家裡的唯一的男孩子,
我會代替爸爸保護好媽媽和妹妹,
我會用爸爸的便當盒好好地吃饭,
成為更加堅强的、温和的男孩子。 

おとうさん、
おべんとうばこをかしてくれてありがとうございます。

爸爸,謝謝你借我便當盒。


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